喜多院の厄除け護符
千年前に第18代天台座主となった慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)は、神秘奇跡を数多く残しました。その慈恵大師を祀る喜多院は、厄除けのお大師さまと呼ばれ信仰を集めています。
慈恵大師は、正月3日に入滅されたことから元三大師(がんざんだいし)とも呼ばれます。大師はあるとき、2本の角を立てた鬼の姿となって疫病神を退散させました。その姿を写した病魔退散の「角大師(つのだいし)」の護符を戸口に貼ると悪疫が家に入るのを防ぐといわれています。
また、33体の豆粒のような慈恵大師の影像を刷った「豆大師(まめだいし)」の護符は、「観音様は33の姿に変わり人々を救う」という法華経の話に基づいてつくられたもので、災難除の護符として知られています。
苦抜き地蔵尊
喜多院の境内、慈恵堂に向かってすぐ左側に、「苦抜き地蔵さん」と呼ばれるお地蔵さんが立っています。昭和32年(1957)、本間さんという方が堂の改築を記念して奉納しました。 苦抜き地蔵は川越願いごとめぐりの一つです。いつ見ても色とりどりの旗に囲まれ、赤いよだれかけをつけています。願を掛けると、「世の中のすべての苦しみを取り去り、楽しいことを授けてくださる」といわれています。 |
大黒堂
慈恵堂に向かって右側には、川越七福神めぐりの一つ、大黒天を祀る大黒堂があります。喜多院に祀られている大黒天は開運出世大黒尊天といわれ、古くから人々に信仰されています。※正月初詣の際は大黒堂での拝観ができなくなります。大黒天は特設の場所に移動するので注意。 |
松平大和守廟所
本堂裏に松平大和家の廟所があります。松平大和守は結城秀康を祖とする御家門の家柄で、川越藩主を明和4年(1767)から慶応2年(1866)まで、7代100年にわたり務めました。喜多院には、このうち川越で亡くなった5人の藩主が眠っています。 北側に4基並んでいるのは、向かって右から松平朝矩(とものり)、直恒(なおつね)、直温(なおのぶ)、斉典(なりつね)。南側の1基は直侯(なおよし)です。 |
どろぼう橋
ここ喜多院と東照宮の境内は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあったため、川越藩の町奉行では入ることができませんでした。 ある時、一人の盗賊が町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げ込みました。盗賊は慈悲深い寺僧たちにかくまってもらうと、厄除元三大師に心から罪を許してもらえるよう祈りました。 その後、盗賊は改心して真人間になり、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたといいます。それ以来、この橋のことを「どろぼう橋」と呼ぶようになりました。 |
六角太子堂と木遣塚
境内のみやげ品店そばに、聖徳太子を祀る太子堂があります。喜多院太子堂の縁起によると、 ・ 弘化4年(1847)3月、当山末寺混合院境内地に創建 |
天海僧正お手植えの槙
大黒堂の裏手に、喜多院の御神木である槇(まき)の巨木があります。天海僧正のお手植えで樹齢約350年だそうです。 御神木というと神社の境内にあるものですが、天台宗では神仏習合といって神様と仏様を同じく礼拝します。 |
喜多院厄除けのご案内
名称 | 喜多院で厄除け、護摩修行 |
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場所(住所) | 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 地図で確認 |
志納料 | 四千円、八千円、一万五千円、三万円(特別連月護摩) ※車祈願など詳しくはお問い合わせ下さい。 |
時間 | 11:30、13:30、15:00 |
駐車場 | 喜多院に有料駐車場あり |
電話番号 | 049-222-0859(喜多院拝観寺務所) |
備考 |
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