喜多院の歴史について
天長7年(830)、平安時代前期、慈覚大師円仁が無量寿寺を開きました。これが喜多院の始まりと伝えられています。(ただし、仙芳仙人の故事では、奈良時代に仙芳仙人が仙波の海水を法力により除き、尊像を安置したのが始まりとされます)
慈覚大師没後370年ほど経った元久2年(1205)、無量寿寺は兵火に遭い、その後90年余り荒廃していました。
永仁4年(1296)、尊海僧正が慈恵大師(元三大師)を勧請して無量寿寺を再興、仏蔵院(北院)・仏地院(中院)・多聞院(南院)が建てられ、関東における天台宗の中心的存在になりました。
天文6年(1537)、北条氏綱(うじつな)と上杉朝定(ともさだ)の戦火に巻き込まれ炎上。
慶長4年(1599)、天海僧正が無量寿寺の北院第27世を継承しました。慶長16年(1611)に徳川家康が川越を訪れた際に親しく接見。その翌年の慶長17年、当時の名称であった仏蔵院北院を喜多院と改めました。天海僧正は家康の信任厚く、寺勢をふるうようになりました。
寛永15年(1638)、大火により現存の山門を残し、すべての堂宇が焼失。3代将軍徳川家光は、江戸城紅葉山の別殿を解体移築して、客殿、書院、庫裏に当てました。その他の建物(慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社など)も数年の間に相次いで再建されました。
明治以後、喜多院は御朱印地でなくなったことと、その後の歴代が選出制度で次々変わったため非常に荒廃しました。しかし終戦後、第57世亮忠探題大僧正によって「昭和の大復興」が進められ、また現当主・第58世亮善大僧正も境内の整備を継続しました。その結果、喜多院は350年前の盛時をしのばせる景観となり、現在に至っています。
喜多院のご案内
名称 | 星野山 無量寿寺 喜多院 |
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別称 | 川越大師 |
場所(住所) | 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 地図で確認 |
拝観料 | 客殿、書院、庫裏、慈恵堂、五百羅漢は、拝観料を払うと内部を見学することが出来ます。大人400円、小・中学生200円 |
拝観時間 | 3月1日~11月23日 平日 8:50~16:30、日曜祝日 8:50~16:50 11月24日~2月末日 平日 8:50~16:00、日曜祝日 8:50~16:20 |
拝観休み | 12月25日~1月8日、2月2日~4日、4月2日~6日、8月16日、宝物特別展開催日の前後。その他、院内行事のある日。 |
駐車場 | 喜多院に有料駐車場あり |
電話番号 | 049-222-0859(喜多院拝観寺務所) |
備考 |
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