エルハズネはお墓?
アラビア語で「宝物殿」を意味するエルハズネ(Al Khazneh)。内部には何も残っていないため神殿なのか墓なのか、それともまったく別のものに使用されたのか判明していません。
しかし、近年の調査でエルハズネの地下から成人した男性の骨が発見されました。手厚く埋葬されていたことからペトラの王の骨ではないかと思われています。とすると、エルハズネは王の墓なのかも知れません。(※ペトラ遺跡の発掘はまだ全体の一割ほどしか終了していません。現在も新たな発見が相次いでいる状況です)
ペトラ遺跡の写真(2)
【シークの終り】
シークを30分ほど歩いた頃でしょうか、穏やかなカーブを曲がると、前方をさえぎっていた崖が急に開けました。
【岩の裂け目から見えるものは……】
薄暗いシークの先、岩の裂け目から見える巨大な神殿風の建物。映画「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」の舞台として使われた光景が目の前にありました。ペトラを象徴する最も美しい遺跡、エル・ハズネです。
【エル・ハズネ】
エル・ハズネとは、アラビア語で「宝物殿」を意味します。現地の人たちは「ファラオの宝物庫」と呼んでいます。高さ39.1m、幅25.3m、紀元前30年~9年?に建造されました。
「砂漠を横切り、山を越え、三日月の谷を渡りて聖杯の眠る寺院へ」
映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」の台詞です。今回の旅行は、私自身もこの台詞のような体験をしてエルハズネに到達した気分です。まさに「幻の聖杯」が祭られているような、そんな雰囲気が漂う光景でした。
エルハズネの内部
残念ながらエルハズネの内部には映画のような秘密の通路は存在しません。壁の縞模様がとても美しい大広間と、2つの小部屋が掘り込まれているだけで、内部には何もありませんでした。 ナバテア人は文字で記録を残しませんでした。そのため、建物の建てられた目的などを含め、ペトラには多くの謎があります。 |
エルハズネの彫刻
【豊穣の角を持つ女神】 【勝利の女神】 【斧を振るう女戦士】 【戦士と馬】 |
かつては入念に彫られた彫刻も長年の砂嵐や雨による浸食、そして地震などの影響で、彫刻の大部分は崩れ、以前はとがっていたと思われる部分も折れたり丸くなったりしています。 画家のデーヴィッド・ロバートによる1842年のエルハズネ(お土産用の絵や絵葉書など)を見ると、今よりも彫刻の形がはっきりしているのがわかります。 さて、エルハズネには、海賊が「ファラオの宝」を隠したという言い伝えがあります。そのため「宝物殿」と呼ばれるのですが、ベドウィンたちは宝を探すため彫刻に向けてライフルを撃っていました。 特に一番上にある大きな壺の彫刻は、いかにも宝が隠されていそうな場所だったので、壺には弾痕による無残な跡がいくつも残っています。 中央の像、豊穣の角を持つ女神は、ペトラの偉大なる女神エル・ウッザです。エル・ウッザはギリシャ神話のアフロディーテに例えられます。また運命の女神テュケやエジプト神話に出てくる女神イシスの象徴をも含んでいます。 エル・ウッザの左右、奥まった部分にある二対の像は、背中に翼を持つ勝利の女神。さらにその隣には、斧を振るう女戦士の彫刻があります。 1階の左右にある戦士と馬の像は、双子の兄弟の騎手ディオスクロイ(ギリシャ神話におけるふたご座のカストルとポルクス)の彫刻です。 他にも、ワシや架空の動物の彫刻、コリント様式の柱などの特徴があります。これらの建築様式から、ナバテア、ギリシャ、エジプト、アッシリアといった様々な地域の文化や美術が見てとれます。 |
(次ページ、ペトラ中心部の紹介、バラ色の都市ペトラに続く)
ペトラ遺跡のご案内
名称 | エルハズネ - ペトラを象徴する最も美しい遺跡 |
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場所(所在地) | ペトラ 地図で確認 |
国名(地域名) | ヨルダン |
備考 |
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