ペトラ遺跡について
ペトラ遺跡(Petra)は、ヨルダンの首都アンマンから190kmほど南の山岳地帯にある遺跡です。紀元前後にアラビア系遊牧民のナバテア王国の首都として、また通商の中継地として繁栄しました。しかし、その後海路の発達により衰退し、7世紀には歴史から完全に消えてしまいました。
砂に埋もれたこの遺跡が発見されたのは19世紀になってから。それまではベドウィン人の商人だけに知られる秘密の場所でした。現在は考古学者や観光客をひきつけてやまない中東を代表する大遺跡となっています。ペトラ遺跡は1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ペトラ遺跡の写真(1)
【ワディ・ムーサの町並み】
写真はペトラ観光の拠点であるワディ・ムーサ(モーゼの谷)です。ワディ・ムーサの町は、預言者モーゼが岩から水を湧き出させたと考えられる地です。
乾燥した山の斜面にたくさんのホテルが建っていました。今回、私の宿泊したホテル「モーベンピック・リゾート・ペトラ」は、ペトラ遺跡の入口すぐそば、歩いて数分のとても便利な場所にありました。
【ズゥ・シャラー神を象徴するジン(精霊)の岩】
ペトラ遺跡の見学はかなり歩きます。そのペトラ遺跡の見所・主要な遺跡を見学するコースは、まずシークを進みエルハズネへ、そしてペトラ中心部へ行き、最後に王家の墓を見て回るコースです。このサイトでもその順番に紹介しています。
入口のビジターセンターからメインゲートを出たところでは、観光客のために馬やロバが待機しています。これらに乗ってペトラ中心部まで行けますが、途中たくさんの見所があるので一度は(行きは)歩いてみることをお勧めします。なお、歩くとシークまで約10分、エルハズネまでは30分ほどかかります。
【オベリスクの墓とエル・シーク・トリクリウム】
ジンの岩の向い側には、2つの建造物があります。オベリスクの墓(上部)と、葬祭殿のエル・シーク・トリクリウム(下部)です。オベリスクの墓は、4本のオベリスク(高さ7m)がそびえます。
エル・シーク・トリクリウムは内部に石の座席(トリクリウム)があり、ここで葬儀が執り行われていたと思われます。
【ペトラへ続く唯一の道、シーク】
ペトラ遺跡の見所、シーク
シークとは狭い岩の裂け目、峡谷のことをいいます。この天然の峡谷は長さ約1.5km、両側の切り立った崖の高さは60~100mにも達します。まるで左右の岩壁に押しつぶされてしまいそうな圧迫感が感じられるほどです。
道幅は2~10m。観光客を送った帰りでしょうか、狭い場所で馬車とすれ違うときは一方通行になることもありました。道は砂で覆われています。もとは石畳で舗装されていましたが、今はわずかしか残っていません。
崖の下方には「岩の水路」の跡が延々と続いています。ペトラ中心部に水を運び込むため岩を切り出したものです。
【様々な色に変わる岩肌】
シークやエルハズネなどの崖の岩肌は、日のあたる角度によって様々な色に変わります。行きと帰りでは雰囲気がぜんぜん違って見えるほどです。帰りは歩き疲れて、景色を見る余裕がないかもしれませんが……。
谷底は太陽の光も届かずほとんど日陰になっていました。しかも、そよ風が吹き抜けているので気持ち良く歩けました。
【壁がん】
岩壁にはナバテア人の主神であるズゥ・シャラー神をまつる祭壇(壁がん)が所々に刻まれていました。
【ペトラのモアイ像】
ガイドさんに教えてもらわなければ見過ごしてしまうほど、まわりの景色に溶け込んでいました。それにしてもモアイ像によく似ていますね。自然がつくり出す形というのは、本当に面白いものです。
【ナバテア人の像】
シークの途中には、5頭のラクダと5人のナバテア人によるキャラバンの像があります。残念なことに像の上部は失われ足元の部分しか残っていません。
(次ページ、ペトラを象徴する最も美しい遺跡、エルハズネに続く)
ペトラ遺跡のご案内
名称 | ヨルダンのペトラ遺跡 - 中東を代表する大遺跡を見学 |
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場所(所在地) | ペトラ 地図で確認 |
国名(地域名) | ヨルダン |
備考 |
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