観光情報 [愛知県]
常泉寺について
愛知県名古屋市の中村区にある常泉寺(じょうせんじ)は、太閤山と号し、日蓮宗に属します。慶長年間(1596~1615)に加藤清正一族の円住院日誦上人によって創建されました。
境内には豊臣秀吉の銅像や秀吉が産湯に使ったと伝えられる井戸、秀吉お手植えの柊(ひいらぎ)があります。また、秀吉所持と伝えられる采配や茶釜、硯などを所蔵しています。
旅行時期 [2009年7月]
常泉寺の写真
【日蓮宗 太閤山 常泉寺】
【豊太閤(秀吉)の像】
【豊臣秀吉 産湯の井戸】
豊臣秀吉 産湯の井戸
秀吉誕生のときに使用されたと伝わる産湯の井戸です。当時は近郷に類のない清水の溢れる井戸だったそうで、寺を建立したときの「常泉寺」の寺号の由来となりました。
昭和40年代に井戸が枯れてしまいましたが、現在は常泉の名のとおり清泉がよみがえり、水が湧き出ています。なお、滝が落下する後の石は千成瓢箪(千成びょうたん)にちなんで萬成石(万成石、まんなりいし)が使用してあります。
【豊臣秀吉 お手植えの柊】
豊臣秀吉 お手植えの柊(ひいらぎ)
秀吉が11歳(1547年)のときに植えたと伝わる柊です。幹が衰えても下枝が育ちを繰り返し、現在基木より五代目といいます。
【木下長嘯子邸址】
木下長嘯子の屋敷跡
常泉寺に隣接する木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)の屋敷跡です。長嘯子は名を勝俊(かつとし)といい、北政所(きたのまんどころ)の兄・木下家定の長子です。小早川秀秋の兄。
はじめ豊臣秀吉に、のちに徳川家康に仕えた武人ですが、年少のころより和歌を好み、細川幽斎に学んだといいます。関ヶ原の戦い後、徳川氏に封を奪われ京都東山に閑居。引退後は和歌に茶道に書に、もっぱら風流三昧の生涯を送りました。歌集に「挙白集」があります。
(次ページ、名古屋市の寺社めぐり、妙行寺に続く)
常泉寺のご案内
名称 | 常泉寺(じょうせんじ) |
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場所(住所) | 愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47 地図で確認 |
料金 | 散策自由 |
交通アクセス | 【電車】地下鉄東山線「中村公園駅」下車、徒歩10分 |
駐車場 | 駐車場あり |
電話番号 | 052-412-3467 |
備考 |
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