那古野城から名古屋城へ
那古野城は室町時代に入った大永年間(1521~28)のはじめ、駿河守護の今川氏親(うじちか、今川義元の父)が築いた城で、別名「柳の丸城」といいました。
氏親は一族の氏豊(うじとよ)を城主として守らせていましたが、天文元年(1532)、織田信秀によって城を奪われ、その後、信秀の子・信長の居城となりました。しかし、信長は家督を継ぐと清洲城に移ったため、那古野城は自然に廃城となりました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、徳川家康は清洲城よりももっと堅固な城を築こうと考え、その候補地として那古野の古城跡を選びました。慶長15年(1610)、加藤清正を総指揮者として北国・西国の諸大名に命じて名古屋城の築城が開始されました。慶長17年(1612)に天守閣が完成、以後、名古屋城は尾張藩の権威と繁栄の象徴となりました。
那古野城跡の写真
【名古屋城と二の丸広場】
名古屋城と那古野城
名古屋城の建てられた場所は、元々今川氏親が築いた那古野城の跡です。那古野城は慶長15年(1610)の徳川家康による名古屋城築城の際に、二の丸の一部となりました。
現在の二の丸一帯は、名勝二の丸庭園、二の丸東庭園、休憩のできる二の丸茶亭、芝生の広がる二の丸広場と、開放感いっぱいのエリアになっています。
【「那古野城址」の碑】
「那古野城址」の碑
名古屋城の二の丸には「那古野城址」の碑が立っています。那古野城は天文元年(1532)に織田信秀の領有になり、その後、信長が生まれるまで信秀が居城しました。天文3年(1534)に信長が生まれると、信秀は城を信長に譲り古渡城へ移りました。
織田信長は信秀の正室・土田御前を母として、この那古野城で生まれたといわれます。信長は弘治元年(1555)に清洲城に移り、その後一族の信光が居城していましたが、弘治3年(1557)以後、那古野城は廃城となりました。
【名勝 名古屋城 二之丸庭園】
名古屋城の二之丸庭園
二之丸庭園は木曽の名勝・寝覚の床(ねざめのとこ)を模して作られた庭園です。元和年間(1615~1623)、二之丸御殿の造営に伴い、同御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を中心として設けられました。
享保年間(1716~1736)以後たびたび改修され、枯山水回遊式庭園に改められました。変化のある回遊路、巨岩を用いた石組み、生茂る老木・巨木などが作庭当時の面影を残しています。
二之丸庭園の東側には昭和53年に開園した二之丸東庭園があり、付近にはぼたん園・しゃくやく園など花園もあります。茶店の二の丸茶亭では庭園を眺めながら落ち着いた時間を過ごせます。
名古屋城のご案内
名称 | 名古屋城(なごやじょう) |
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別名 | 金鯱城(きんこじょう)、蓬左城(ほうさじょう) |
住所 | 愛知県名古屋市中区本丸1-1 地図で確認 |
開園時間 | 9時~16時30分(天守閣への入場は16時まで) |
休園日 | 年末年始(12月29日~31日、1月1日) |
料金 | 一般500円、中学生以下無料 |
交通アクセス | 【電車】地下鉄名城線「市役所駅」下車、徒歩5分 |
駐車場 | 駐車場あり 521台(正門前、東門前) |
駐車場料金 | 普通車 30分以内ごとに180円 |
電話番号 | 052-231-1700(名古屋城管理事務所) |
備考 |
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