華陽院について
静岡市葵区の鷹匠にある華陽院(けよういん)は、玉桂山華陽院と号し、浄土宗に属する寺院です。
華陽院の始まりは、永正9年(1512)、知短(ちたん)上人開基による真言宗の寺で、知源院(ちげんいん)と呼ばれていました。慶長14年(1609)、徳川家康が大御所として駿河に引退し、源応尼(げんおうに:家康の祖母)の50回忌の法要を営んだ際、その法名から寺名を改め華陽院としました。また、宗派も真言宗から浄土宗に改宗しました。
華陽院は源応尼の菩提寺です。境内には源応尼の墓と家康の五女・市姫の墓が並び、近くには側室のお久の方の墓があります。主な寺宝として、家康が使った団扇(うちわ)や市姫が使ったひな屏風(びょうぶ)などがあります。
華陽院の写真
【華陽院(けよういん)】
【家康公お手植えのみかん】
【源応尼の墓】
家康の祖母・源応尼について
源応尼(華陽院殿)の実名は「お富の方」、または「お万の方」といいます。今川義元を頼って駿府に入り、出家して源応尼(げんおうに)と名乗りました。竹千代(後の徳川家康)の生母である於大の方の実母で、竹千代にとっても実の祖母になります。
源応尼は天文20年(1551)8月、当時今川家の人質となっていた竹千代の養育者として岡崎から招かれ、知源院の近くに住んでいました。源応尼の親身の愛情は、幼くして肉親と別れ、淋しく暮らしていた竹千代の心を大いに和ませたといいます。
永禄3年(1560)5月6日、成人した家康が今川義元上洛の先陣として浜松にあるとき、源応尼は駿府で逝去し、知源院に埋葬されました。
【市姫の墓】
家康の五女・市姫の墓
源応尼の墓の隣には市姫の墓があります。市姫は家康が66歳のとき駿府で生まれた末子で、慶長15年(1610)2月12日、わずか4歳にして亡くなりました。
華陽院のご案内
名称 | 華陽院(けよういん) |
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場所(住所) | 静岡市葵区鷹匠2丁目24-18 地図で確認 |
拝観 | 境内自由 |
交通アクセス | 【電車】JR静岡駅北口より徒歩15分 |
駐車場 | |
電話番号 | 054-252-3673 |
備考 |
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