宝台院について

静岡市葵区の常磐町にある宝台院(ほうだいいん)は、金米山宝台院と号し、浄土宗に属する寺院です。
宝台院は、永正4年(1507)、観誉祐崇(かんよゆうそう)上人によって市内の柚木に創建され、龍泉寺と称したのが始まりです。のちに紺屋町に移りました。天正17年(1589)、二代将軍秀忠の母・西郷局(さいごうのつぼね)が没すると当寺に葬られました。寛永5年(1628)、秀忠は母の菩提を弔うため寺を現在の場所(常磐町)に移し、その時に寺号も龍泉寺から宝台院と改称しました。以来、宝台院と呼ばれるようになりました。
寺には徳川家康の持仏であったという木造阿弥陀如来立像(国・重要文化財)、家康公の自画像(市・重要文化財)などがあり、境内には西郷局之墓(市・重要文化財)やキリシタン灯篭が残っています。
宝台院の写真

【宝台院(ほうだいいん)】
宝台院を見学
JR静岡駅北口から国道1号線沿いに徒歩10分、金米山宝台院という浄土宗のお寺があります。宝台院は徳川家康の側室で二代将軍秀忠の生母・西郷局の菩提寺です。また、駿府で謹慎することとなった15代将軍・徳川慶喜が1年間近くを過ごした場所としても知られます。

【西郷局の墓】
西郷局について
西郷局(お愛の方)は27歳で徳川家康に仕え、翌天正7年(1579)4月、家康の第三子・秀忠(二代将軍)を生みました。
当時、家康は浜松城にあって三方原の合戦、設楽原合戦、小牧長久手の合戦と戦争に明け暮れる最も苦難な時でした。西郷局はこの時期に家康と連れ添い、苦労を共にしてきた妻といえます。西郷局は天正17年(1589)5月、38歳の短い生涯を終えました。

【徳川慶喜公謹慎の地】
徳川慶喜公謹慎の地
明治維新の際、駿府で謹慎することなった徳川最後の将軍・徳川慶喜公は、慶応4年(明治元年、1868)7月23日に宝台院に入りました。慶喜公は謹慎が解除(明治2年9月28日)されるまでの約1年間を宝台院で過ごし、その後、紺屋町の駿府代官屋敷(現在の浮月楼)へ移りました。

【キリシタン灯篭】
キリシタン灯篭
茶人として有名な古田織部が製作し駿府城へ奉納、徳川家康の侍女・ジュリアおたあが信拝したという灯篭です。この灯篭は城内より静岡奉行所を経て宝台院へ移されました。
宝台院のご案内
名称 | 宝台院(ほうだいいん) |
---|---|
場所(住所) | 静岡県静岡市葵区常磐町2-13-2 地図で確認 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
拝観料金 | 大人/200円、学生/無料、子供/無料 (白本尊阿弥陀如来立像・宝物室) |
休日 | 土・日・祝日、年末年始、お盆期間 |
交通アクセス | 【電車】JR静岡駅北口より徒歩10分 【車】東名高速静岡インターから車で約15分 |
駐車場 | 駐車場あり |
駐車場料金 | 無料 |
電話番号 | 054-252-1090 |
備考 |
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