川越城本丸御殿について
川越城は、長禄元年(1457)に、関東管領の扇谷上杉持朝(もちとも)の命により、家臣の太田道真(どうしん)・道灌(どうかん)親子が築城しました。当時の城は、土塁によって囲まれた砦のような規模の小さいものでした。(太田親子は同年に江戸城と岩槻城も築城しています)
その後、幾多の戦や拡張整備を経て、川越城本丸御殿が築かれたのは江戸時代の嘉永元年(1848)、松平斉典(なりつね)が城主のときでした。当初の本丸御殿は16棟あり、総建坪1,025坪(3,888平方メートル)に及ぶ広大なものでしたが、明治維新後次第に解体されていきました。現在は玄関と大広間、移築復元された家老詰所が残されています。
川越城本丸御殿は、かつて郡役所や武道場に使われいましたが、昭和42年(1967)に大規模な補修が行われ、文化財として公開施設になりました。その後、老朽化に伴い平成20年(2008)10月から再び大修理が行われ、平成23年(2011)3月に完了しました。
川越城本丸御殿は昭和42年(1967)に県指定有形文化財に指定され、平成18年(2006)には日本100名城に選定されました。
川越城本丸御殿の写真
【県指定 川越城本丸御殿】
川越城本丸御殿を見学
埼玉県川越市に川越城の城跡があります。お城というと、お堀や石垣があって天守閣がそびえ立つ姿(参考:名古屋城)を思い浮かべますが、ここ川越城は、玄関・広間部分と移築復元された家老詰所を残すのみです。しかし、国内において本丸御殿大広間が現存する例は極めて少なく、たいへん貴重な遺構となっています。
【川越城本丸御殿の風格ある玄関】
川越城本丸御殿の玄関は大唐破風(からはふ)が配され、鬼板に三つ葉葵(あおい)の紋が入ったとても立派なものです。玄関の脇には櫛型塀(くしがたべい)が連なっています。
【表廊下】
表廊下(おもてろうか)は、長さ35.5メートル、幅2.8メートルあり、母屋の中にある部屋の四方を囲っています。玄関部分に接する表廊下は、けやきの鏡板でできています。
【家老詰所】
家老詰所は川越城主・松平斉典の時代の建造物です。建坪は54坪、木造平屋で寄棟造り、屋根は桟瓦葺。室内は正面に床の間・床脇を備えた10畳を奥として、8畳、8畳の3室を中心に構成されています。
【家老用部屋】
川越藩は江戸幕府にとって有力な大名だったので、藩主は年間を通じて江戸に詰めていました。そのため、川越藩の政務は「家老」を中心として行われていたと考えられます。上の写真は、等身大のリアルな人形を使って、家老たちが藩政を論じる場面を再現しています。
【大広間】
この大広間は36畳あり、城内の会議を行うときに使用された部屋です。普段は、留守居役(るすいやく)のような者が詰めていたようです。
【本丸御殿の杉戸絵】
船津蘭山による杉戸絵
本丸御殿の杉戸絵は、川越藩の御用絵師・船津蘭山(ふなつらんざん)によって製作されました。嘉永3年(1850)5月14日、藩主から絵の制作を命じられ、6月7日からとりかかり、安政4年(1857)4月9日にすべてを完了しました。杉戸絵の完成までに、実に7年の歳月が費やされました。現在、本丸御殿内部には11面の杉戸絵が残されています。
川越城本丸御殿のご案内
名称 | 川越城本丸御殿(かわごえじょうほんまるごでん) |
---|---|
場所(住所) | 埼玉県川越市郭町2-13-1 地図で確認 |
開館時間 | 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
休館日 | 毎週月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)、館内整理日(毎月第4金曜日、但し休日は除く) |
料金 | 一般100円、大学生・高校生50円 |
交通アクセス | 東武東上線・JR川越線「川越駅西口」及び西武新宿線「本川越駅」からイーグルバス「小江戸巡回バス」で約15分、「本丸御殿」下車。 |
駐車場 | 駐車場あり |
駐車場料金 | 無料 |
電話番号 | 049-222-5399(川越市立博物館) |
備考 |
関連記事・参考情報
- 埼玉県川越市の観光ガイド - おすすめ案内 川越市のイベント情報
- 【川越市】川越城の七不思議 - 小江戸川越の民話と伝説
- 【川越市】川越城エリア - 川越城本丸御殿周辺の見所
お出かけ時の注意について
各記事の内容は掲載時の情報です。現状では異なる可能性があります。
営業時間や料金など変更になっている場合がありますので、
お出かけの際は、公式サイト等で最新の情報をご確認ください。