妙昌寺について
埼玉県川越市の三光町にある妙昌寺(みょうしょうじ)は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で法真山と号します。永和元年(1375)、池上本門寺第四世日山上人が開創しました。
江戸時代初期までは多賀町(現在の幸町)付近にありましたが、寛保元年(1741)、松平伊豆守信綱が川越城を改修する際に、当寺を現在の三光町(浅場孫兵衛侍屋敷跡地)に移転しました。妙昌寺は平成4年(1992)に本堂客殿を新築、平成14年には弁天堂の改修、水屋の新設等境内の整備が行われました。
妙昌寺の弁財天・経ヶ嶋辨財天(きょうがしまべんざいてん)は、室町時代に当時の地頭が小石に法華経を書写し、塚を築いて社を建てたのが始まりといいます。後に川越城築城に際し、弁財天の社が川越城の裏鬼門に向いていたことから、鬼門除けの守護神として太田道灌も特に尊崇(信仰)厚かったと伝えられています。
妙昌寺の写真
【妙昌寺の本堂】
妙昌寺を見学
静かな住宅地の中に、法真山妙昌寺(日蓮宗)があります。妙昌寺の参道を進むと正面に立派な本堂が、本堂左脇の道を奥へ進むと小江戸川越七福神に数えられる経ヶ島弁財天を祀る弁天堂があります。
【高台にある妙昌寺】
妙昌寺があるこの場所はちょうど高台なので、江戸時代には見事な富士山が見えたといいます。三芳野名勝図会には、妙昌寺富士眺望図として収録されました。しかし、残念ながら今は当時の面影を見ることはできません。
弁天堂の漆喰
【富士山】 |
【浦島太郎と亀】 |
【乙姫と竜宮】 |
【琵琶を奏でる弁財天)】
妙昌寺へ行ったらぜひ弁天堂の漆喰に注目してください。弁天堂の漆喰には、浦島太郎の物語をあしらったものや琵琶を奏でる弁財天の姿が見られます。
経ヶ島弁財天とその由来
【弁天堂】
弁天堂の裏には赤間川(現在は新河岸川)があります。その昔、伊佐沼に流れ込んでいた赤間川は度々氾濫し、沿岸に大きな被害をもたらしていました。そこで当時の地頭が小石に一字ずつ法華経を書き、塚の中に埋め、そしてお堂を建て弁財天を守護神としました。すると以後洪水が起こらなくなったといいます。以来、経ヶ島弁財天(きょうがしま べんざいてん)と呼ばれるようになりました。
【瓣財天(弁財天)を祀る】
小江戸川越七福神(弁財天)
弁財天は鬼子母神、吉祥天と並んで三大女神の一人です。インドの川の神様で、元は水神、河神。そのため弁財天は、池や川のほとりのお堂に安置されることが多いです。さらに水音から音楽の神さまともなって、琵琶を奏でる姿の像が一般的です。妙昌寺の弁天堂に祀られている経ヶ島弁財天は、八臂(八本の腕)に各種の武具を持つ姿絵で表されています。
妙昌寺のご案内
名称 | 妙昌寺(みょうしょうじ) |
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場所(住所) | 埼玉県川越市三光町29 地図で確認 |
拝観 | 境内自由 |
電話番号 | 049-222-2414 |
季節の花 | 8月~10月 フジバカマ |
備考 |
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