浮島神社について
埼玉県川越市の久保町にある浮島神社(うきしまじんじゃ)は、地元の人々から「うきしま様」と呼ばれ、広く親しまれている神社です。かつては末広稲荷とも呼ばれ、安産の神として麻を奉納する習慣が伝えられています。
浮島稲荷神社がいつ頃建てられたのかは定かではありません。なお、現在ある社殿は大正4年(1915)に改築したものです。
浮島神社の写真
【浮島稲荷神社】
浮島稲荷神社を見学
成田山川越別院から徒歩5分、住宅街の中に浮島稲荷神社があります。その昔、この辺りは七つ釜(ななつかま)といって、清水の湧き出る穴が七つもあり、一面葦(あし)の生い茂る沼沢地だったそうです。そのため遠くから神社を眺めると、ちょうど島のように浮かんで見えたことから、浮島神社と呼ばれるようになったといいいます。
【葦の生えている池】
川越城の七不思議 人身御供
川越城築城の際、太田道真、太田道灌父子は、三方(北、西、東)の水田が泥深く、築城に必要な土塁がなかなか完成せず苦心していました。
ある夜、龍神が道真の夢枕に立って「明朝、一番早く汝のもとに参った者を人身御供(ひとみごくう)に差し出せば、速やかに成就する」と言われました。
道真は龍神にそのことを約束しましたが、翌朝一番早く現れたのは最愛の娘の世禰姫(よねひめ)でした。さすがの道真も龍神との約束を守れずにいると、姫はある夜、城の完成を祈りながら七つ釜の淵に身を投げてしまいました。この尊い犠牲により、川越城はまもなく完成したといいます。
【片葉の芦(葦)の碑】
川越城の七不思議 片葉の葦
浮島稲荷神社の裏側一帯は、萱(かや)や葦(あし)が密生した湿地帯で、別名「七つ釜」といわれていました。ここに生える葦は、不思議なことに片葉(※1)であって、次のような話が伝わっています。
川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母と逃げのび、ようやくこの七つ釜のところまでやって来ました。しかし、足を踏み外してしまい沼地に落ちてしまいました。
姫は川辺の葦に取りすがり岸にはい上がろうとしましたが、葦の葉がちぎれてしまい、姫はその葦の葉をつかんだまま水底へ沈んでいきました。そのため、この辺の葦は姫の恨みによってどれも片葉になったといわれています。
※1.通常、ヨシ(アシ)の葉のつき方は互生ですが、風が一方から吹くと片側による事があります。これが「片葉の葦」と呼ばれるものです。
浮島神社のご案内
名称 | 浮島神社(うきしまじんじゃ) |
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場所(住所) | 埼玉県川越市久保町17 地図で確認 |
拝観 | 境内自由 |
電話番号 | |
備考 |
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