地理雑学 [土地利用]
三富新田について
三富新田(さんとめしんでん※)とは、江戸時代の元禄期(1668~1704年)に、武蔵川越藩が武蔵野台地に開いた三新田(上富新田、中富新田、下富新田)の総称です。
※三富は、地域によって「さんとめ」「さんとみ」と呼ばれています。
三富新田の歴史
元禄7年(1694)、川越城主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は家臣・曽根権太夫(そねごんだゆう)に命じて、現在の埼玉県所沢市中富(なかとみ)・下富(しもとみ)、入間郡三芳町上富(かみとめ)の3地区を広大な畑地として開拓しました。元禄9年にこれが完成し、上富村148戸、中富村48戸、下富村50戸の合計246戸の村落ができました。三富新田は、1962年に旧跡として埼玉県指定文化財に指定されました。
三富新田の場所を地図で確認 |
【短冊形の細長い畑】 |
整然と区画された地割
地割は、幅40間(約72メートル)、奥行375間(約682メートル)の短冊形に区画され、一軒分の所持面積は5町(約49,500平方メートル)でした。これを道路沿いから屋敷・耕地・山林の順に仕切りました。さらに1戸ごとに耕作道を設け、そのあぜにはお茶の木や「うつぎ」を植えて境界とし、整然とした地割をつくりあげました。
【屋敷地】 道路の近くには家があり、防風林として竹やケヤキ、ヒノキなどが植えられました。 |
【耕地】 屋敷地の先には畑が続き、サツマイモやホウレンソウなどが栽培されました。 |
【雑木林】 耕地を隔てた先には雑木林があり、防風林、たきぎ、山菜取りなど里山としての役割を果たしました。 |
航空写真で三富地域を見ると、屋敷林、畑、雑木林が現在も整然と並んでいる様子が見てとれます。
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