モンバサについて
モンバサ(Mombasa)は、ケニアの南東部、ナイロビからは約450kmほど南東に位置する港湾都市です。市街はモンバサ島と大陸側にまたがり、ナイロビに次ぐケニアで2番目に大きな都市になります。
モンバサは東アフリカ最大の港(物流拠点)で、古くからアラブ人やインド人の商人が活躍しました。隣国のウガンダにとっても重要な貿易港で、モンバサはナイロビ・ウガンダ・タンザニアに通じる鉄道の起点にもなっています。
モンバサの写真
【モンバサ島】
モンバサ島へ
約13平方kmのモンバサ島がモンバサの中心部です。この島に駅やバスターミナル、マーケットが集まっています。島と本土は、橋またはフェリーで行き来できます。島の東部にはオールドタウンがあり、アラブ風の家々が立ち並びます。モンバサのオールドタウンはイスラム色が強く、とても興味深い場所です。
【巨大な象牙の形をしたタスクス】
モンバサの観光名所、タスクス
モンバサのタスクスは象牙の形をした巨大なアーチです。高さは10mほどあります。イギリス王女、エリザベス2世のモンバサ訪問を記念して作られました。このタスクス、もちろん本物でなくブリキ製です。ちなみに本物のゾウ(体重6トンほどのアフリカゾウ)のタスクスは、最大のもので一本(片方だけで)100kg以上もあります。
【フォート・ジーザス(砦)】
フォート・ジーザス博物館
フォート・ジーザスは、1593年に東アフリカ全域を支配していたポルトガル人によって建設された砦です。現在は博物館として一般公開され、かつてこのあたりで取り交わされた交易品などが展示されています。
【砦の大砲】
モンバサの歴史について
海からの侵入を防ぐために造られたフォート・ジーザスが象徴するように、モンバサの歴史は戦いの歴史でした。
紀元前、港としてはこの時期から栄えていた。
11世紀、ペルシアやアラビアのイスラム教徒が渡来。
1498年、バスコ・ダ・ガマが来航。ポルトガルの支配下になる。
16世紀以降、ポルトガルとアラブの間で支配権の争奪が行われる。
1698年、アラブとの戦争でポルトガルは全滅。
18世紀、マスカット・オマーンの領土になる。
1822年、イギリスの保護下におかれる。
1830年代、ザンジバルの支配下になる。
19世紀末、イギリスが買収。
1888年~1907年、イギリス領東アフリカの主都になる。
アカンバ村の写真
【アカンバ村にある彫刻センター】
【木彫り職人の仕事場】
【手先がとても器用です】
アカンバ村で木彫り彫刻を見学
モンバサのお勧め観光地、アカンバ村は、東アフリカで最も大きな彫刻センター(Akamba Village, Akamba wood carvers' center)です。アカンバ村はモンバサ島から大陸側に渡ったチャンガムウェ(Changamwe)にあります。
アカンバ村では手先の器用なカンバ族の職人による木彫り彫刻の製作過程を見学することが出来ます。様々な動物、マスク、マサイ族をモチーフにした彫刻品は、観光客に人気のお土産とのこと。なお、アカンバ村へはバスまたはタクシーを利用すると便利です。
モンバサのご案内
名称 | モンバサ - ケニア旅行/観光案内 |
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場所(所在地) | モンバサ 地図で確認 |
国名(地域名) | ケニア |
備考 |
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